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日常生活やスポーツにおける身体の使い方について、いろいろ考えたことを整理してしばらく寝かせておくためのブログです。
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実は現在の僕は、とあるスポーツ団体の職員です。したがって、スポーツに関わることでメシが食えています。
でも、さまざまな社会の動きを見聞きするにつれ、いずれ食えなくなるかもと思うことが日々増大するわけで、今の僕の職業は奇跡的に成り立っているものなのだと痛感しています。
このブログの趣旨からかなり外れた内容だとは思うけど、最近ずっと考えていることで、自分の頭のなかのぐちゃぐちゃを少しでも整理するために、書いてみます。

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そもそも、仕事とは何なのでしょうか。

仕事といえば最近、成果主義などとやかましいが、大体、成果なんてカンタンに評価できないはずだと思うのです。
難しいことを成功させたら大きな成果、誰でもできることなら小さな成果、というのではあまりに横着なのではないか。
誰でも出来ること、というのは確かにあると思います。でも、「誰がやっても同じ」というものはあるのでしょうか?

「誰がやっても同じ」と「誰がやってもそれなりの成果が期待できる」とは、混同してしまいそうだが、違うものだと思います。

例えば。

目玉焼きは誰が作っても目玉焼きだが、火加減とか水の差し方とか蒸し方とか、その人の個性ってものが出ると思います。
その結果として出来上がった目玉焼きは、その人だけが作れる目玉焼きなのだ。
その味を高め、いつでも再現できる人がプロの料理人なんだろう。
目分量で調理し、その目分量がいい加減な僕は、その日によって味が違ってしまいます。

ただやっかいなことに、目玉焼きの出来栄えなんてものは、違いがよくわからない。プロの料理人が作ってもシロートが作っても、目玉焼きは所詮目玉焼きでしかない、という考えもアリなのです。

これが、成果主義の問題ではないかと思うのです。
もともと定量的に評価できないことを評価することはきわめて難しいですよね。

評価とは、評価する人の価値観によって決まってしまうものです。
評価する側が重要視している部分をくすぐれば高評価を得られる。

「目玉焼きなんてどれも一緒」と考えている人に、どんなにおいしい目玉焼きを作っても無駄なのだ。
だったら目玉焼きに手間をかけずに、その人が好きな料理を作ることで勝負するべきではないか。

こんな状況を想像してください。

おいしい目玉焼きをつくることにこだわりを持っている料理人に「目玉焼きなんてどれも一緒だから、別の料理を作れ」と言う。
目玉焼き料理人は、目玉焼きがいかに奥深く、素晴らしい料理であるかを力説し、なんとか目玉焼きを作ろうとしている。

料理人は、相手のニーズを把握せずに、自分の価値観を押し付けようとしているし、食べる側は、目玉焼きが得意だと言っている料理人に、別の料理を作れというトンチンカンな要求をしている。
こういうことって、日常茶飯事ですよね。

仕事とは結局、相手の要望に応えることなのです。
相手が金と交換してもよいと思わない限り、仕事は成り立たないのです。
つまり、仕事の評価=相手の評価 であって、自分の思い入れなんて関係ないのです。
いかに相手の望みを察知し、「そうそう、それが欲しかったんだよ」って言って満足してもらえるか。

これをゲームのように楽しめれば、それで結構。
でも大抵は、自分がやりたいことと相手の望むことが違うことが多い。
「こんなこと本当はやりたくないんだよな」とか言いつつ、金をもらうためにいやいや要望を聞くということがしょっちゅうありますよね。

その結果、酒飲んでグチをこぼさなくてはならなくなるのだ。

酒飲んでグチっているだけ済むのは新人さん。もうちょっと年をくってくると問題はもっと深刻です。

「相手」といえば、仕事で言えば普通はお客さんであるが、それだけではありません。
自分の上司や同僚や部下や後輩もまた、「相手」なのです。
「上」の方針を具現化し、実行するためには上司や同僚や部下や後輩と協力しなければなりません。
なぜなら、組織の歯車のひとつとしての機能を果たせる人間だからこそ、会社から給料をもらえるのだから。

そんな時、上司はもちろん、先輩という曖昧な立場の者もある使命を感じる。
それは、「考えの違う者のエネルギーのベクトルを一つの方向に向け、さらにそれが『上』の方針とも同じ方向を向いていなければならない。それは自分の役目だ。」というものです。
となると、たいてい行き詰るので、「『上』がこう言っているんだから、そうするしかないよ」というような”説得”を試みることになる。
他の人も「ま、そうだよなぁ」と考えることを放棄する。
こうなったら、モチベーションが低いから仕事はうまくいかない。
そこで次の展開は「だからオレは反対だったんだ」とか「『上』は現場のことをわかっていない」とかいう話が出てくる。
そして「上」の人々のうち、身近な誰かがスケープゴートになって、突き上げをくらう。
でも、この「上」のまた「上」のヒトたちにとっては、結果的に仕事が進んでいるのだから、会社全体としてはうまくいっているとしか思えない。
かくして、会社ヒエラルキーの下層部分の不毛ないざこざのタネは尽きることがありません。

なんだかわけがわからなくなってきたので、無理やり「仕事ってなんだ?」について話をもどしてまとめると、今回の結論はこうです。

仕事とは、「交換」です。
何と何を交換するかといえば、もちろん、お互いの欲しいもの同士を交換するのです。
通常、その交換は「お金」に変換されて行われます。
サラリーマンは「会社の歯車になって働く人間が欲しい」というヒトと「自分が会社の歯車になります」というヒトとの取引なのだ。

これは、野生動物が自らのエサを確保するために狩をするのと同じ目的の行為なのだと思います。

続き・・・・スポーツに関わることでメシが食えるか?を考えてみた(002)
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プロフィール
【このブログについて】
スポーツのパフォーマンス向上や活動的な生活を送ることを目指して、身体の使い方やその関連の事柄を研究します。そして、その過程をブログというメディアに残してゆくことで、何かの足しになればと思っています。

【管理人について】
1971年生まれ 男
元陸上競技400mハードラー

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