日常生活やスポーツにおける身体の使い方について、いろいろ考えたことを整理してしばらく寝かせておくためのブログです。
いくら食っていくための手段と割り切っても、やりたくもないコトを延々ウン十年も続けるのは気が遠くなる。
では今の仕事をやめて、脱サラとか転職とかを考えるか?それもちょっと、リスクが高そうだし、やっぱり、何とか「やりたいこと=仕事」という方向に持っていけないものだろうか、と僕は考える。
今の職場でなんとか自分の発言力を高め、自分のやりたいことを業務と認めてもらうのだ。
うまくいけば、やりたいことをやって食っていけるし、会社というシステムのメリットも活かせる。
だが、まてよ。
本当に「やりたいこと=仕事」で幸せなんだろうか。
前に書いたが、仕事とは相手の持っているお金と自分の何らかの行為とを交換することだ。
相手の要望に応えることで、交換が成立するのだ。
「自分が好きでやっていることがお金になるなんて、サイコーじゃないか、ナニいってんだ」と思ったそこのアナタ!
そこに落とし穴があるのダヨ!
「やりたいこと」は、いつでもどこでもいつまでも「やりたいこと」であり続けるものではない。
「好きだけど、今日はヤだ」ということだってある。
「もっとやりたいことを見つけてしまった」ということだってありそうだ。
「やりたいからやる」という自発的行為は、自発的である以上「やりたくない時にはやらなくてもよい」という選択肢も用意されている。
しかし、一旦それを仕事として位置づけてしまった場合、相手が望めば「やりたくなくてもやらなければならない」のだ。
これって、「やりたくないけど仕事だからやる」ことと、どう違うのだろうか。
これを読んで、コイツなにうじうじ言ってんだろ、と思うでしょう?
では、チョット考えてみてください。
アナタの今の仕事は、「ゼッタイにやらなければならないこと」ですか?
言い換えれば、その仕事をやらないと世の中の誰かが困りますか?
本来、仕事と言うのは、必要に迫られてやるものだ。
特に、自分の衣食住にを確保することは、やりたいとかやりたくないというレベルの話ではない。、
必要だから、やるのは当たり前なのだ。
仕事の目的もはっきりしているから(=生きるため)、目標も明快だ。
ところが現実には、「やらなければやらないで済んでしまう」という仕事の方が多いのではないだろうか。
「欲しがられているけど、なければないで仕方ない」という仕事には絶対的な目的も目標も無い。
だからこそ、「やりたい」とか「やりたくない」という”感情”が入り込むのだ。
どんなに「無くても済んでしまうコト」でも、自分にとっては、自分の衣食住を確保するための手段であることに違いないのだが、「もしかしたらやらなくても済んでしまうかもしれないコト」を生業としていると、かなり不安になる。
いつ、「もういいや」って言われるかもしれないのだ。
そこで、その仕事の重要性をあれこれでっちあげなければならなくなる。
でっちあげとは言い過ぎかもしれないが、「なくてもいい」ことを「なければ困る」と周囲に錯覚させるのだから、やっぱりでっちあげだろう。
で、でっちあげを信じてもらうために必要なのは、やっぱり「成果」なのだ。
「成果」とは自分の仕事がいかに必要性の高いものかを誇示するアドバルーンなのだ。
アドバルーンだからこそ、相手にとってどんな意味があるのか?を常に考えなければならない。
つまり、相手にとって自分が無くてはならない存在だと印象付けることなのだ。
なんだか話がどうどうめぐりになってきた。
続きはまた今度。
これまでの記事 第1回 第2回
続き・・・スポーツに関わることでメシが食えるか?を考えてみた(004)
では今の仕事をやめて、脱サラとか転職とかを考えるか?それもちょっと、リスクが高そうだし、やっぱり、何とか「やりたいこと=仕事」という方向に持っていけないものだろうか、と僕は考える。
今の職場でなんとか自分の発言力を高め、自分のやりたいことを業務と認めてもらうのだ。
うまくいけば、やりたいことをやって食っていけるし、会社というシステムのメリットも活かせる。
だが、まてよ。
本当に「やりたいこと=仕事」で幸せなんだろうか。
前に書いたが、仕事とは相手の持っているお金と自分の何らかの行為とを交換することだ。
相手の要望に応えることで、交換が成立するのだ。
「自分が好きでやっていることがお金になるなんて、サイコーじゃないか、ナニいってんだ」と思ったそこのアナタ!
そこに落とし穴があるのダヨ!
「やりたいこと」は、いつでもどこでもいつまでも「やりたいこと」であり続けるものではない。
「好きだけど、今日はヤだ」ということだってある。
「もっとやりたいことを見つけてしまった」ということだってありそうだ。
「やりたいからやる」という自発的行為は、自発的である以上「やりたくない時にはやらなくてもよい」という選択肢も用意されている。
しかし、一旦それを仕事として位置づけてしまった場合、相手が望めば「やりたくなくてもやらなければならない」のだ。
これって、「やりたくないけど仕事だからやる」ことと、どう違うのだろうか。
これを読んで、コイツなにうじうじ言ってんだろ、と思うでしょう?
では、チョット考えてみてください。
アナタの今の仕事は、「ゼッタイにやらなければならないこと」ですか?
言い換えれば、その仕事をやらないと世の中の誰かが困りますか?
本来、仕事と言うのは、必要に迫られてやるものだ。
特に、自分の衣食住にを確保することは、やりたいとかやりたくないというレベルの話ではない。、
必要だから、やるのは当たり前なのだ。
仕事の目的もはっきりしているから(=生きるため)、目標も明快だ。
ところが現実には、「やらなければやらないで済んでしまう」という仕事の方が多いのではないだろうか。
「欲しがられているけど、なければないで仕方ない」という仕事には絶対的な目的も目標も無い。
だからこそ、「やりたい」とか「やりたくない」という”感情”が入り込むのだ。
どんなに「無くても済んでしまうコト」でも、自分にとっては、自分の衣食住を確保するための手段であることに違いないのだが、「もしかしたらやらなくても済んでしまうかもしれないコト」を生業としていると、かなり不安になる。
いつ、「もういいや」って言われるかもしれないのだ。
そこで、その仕事の重要性をあれこれでっちあげなければならなくなる。
でっちあげとは言い過ぎかもしれないが、「なくてもいい」ことを「なければ困る」と周囲に錯覚させるのだから、やっぱりでっちあげだろう。
で、でっちあげを信じてもらうために必要なのは、やっぱり「成果」なのだ。
「成果」とは自分の仕事がいかに必要性の高いものかを誇示するアドバルーンなのだ。
アドバルーンだからこそ、相手にとってどんな意味があるのか?を常に考えなければならない。
つまり、相手にとって自分が無くてはならない存在だと印象付けることなのだ。
なんだか話がどうどうめぐりになってきた。
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プロフィール
【このブログについて】
スポーツのパフォーマンス向上や活動的な生活を送ることを目指して、身体の使い方やその関連の事柄を研究します。そして、その過程をブログというメディアに残してゆくことで、何かの足しになればと思っています。
【管理人について】
1971年生まれ 男
元陸上競技400mハードラー
メールはこちら
twa☆s256.xrea.com (☆→@)
詳細はこちら
スポーツのパフォーマンス向上や活動的な生活を送ることを目指して、身体の使い方やその関連の事柄を研究します。そして、その過程をブログというメディアに残してゆくことで、何かの足しになればと思っています。
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