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日常生活やスポーツにおける身体の使い方について、いろいろ考えたことを整理してしばらく寝かせておくためのブログです。
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侍ハードラー 為末選手の「インベストメントハードラー」(講談社)を読みました。
何というか、不思議な本です。

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「あの時私はこういう状況でこう考えこうしました」とか「私はこう思っています」というようなことが、ただもう、ズラズラーと書き連ねてあるのです。
他にも為末選手の本は、「日本人の足を速くする」(新潮新書)と「走りの極意」(ベースボール・マガジン社)を読んだことがあります。

どの本も、僕の印象は「何のための本なんだろう」というものでした。
指南書としてもエッセイとしても、物足りない。
だけどなぜか惹かれるのです。
それはたぶん、「結果には原因がある」という為末選手の言葉の通り、自分がこう考えるのはこういう過程をたどったからだということを一つ一つきちんと伝えようとしているからだと思います。

前置きが長くなりました。

私はスポーツの指導を生業としています。
と言っても、しがないサラリーマンなのですが。
組織に属し、雑用もこなしながらスポーツの指導の現場も持っているというような感じです。

先日、その組織の労働組合の会合に行ってきました。
その会合に行く途中、たまたま立ち寄った本屋で見かけて、ひょいと買ってみたのが標題の本です。
組合の会合は、相変わらず暗ぁーい話ばかり。
家に帰ってから「インベストメントハードラー」を読んで、なにか光を見たような気がしました。
これも何かの縁なのでしょうか。

一番驚いたのは、この一節。
~以下引用~

プロを「業から対価を得ること」と考えれば、その業に需要がなければ、プロは成り立ちません。必要とされ、対価を得られなければ、いくら高いレベルに業を引き上げたとしても、それは趣味の範疇です。
しかもスポーツは、必ず必要というものではありません。なくなっても生活がままならなくなることはない。けれども、スポーツは世の中から必要とされていて、スポーツ選手という職業が存在しています。

~以上引用~
僕が考えていることと同じでした。
オリンピック選手でもこう考えるのか、と勇気をもらいました。
いや、オリンピック選手だからこそ、スポーツについてシビアな目を持っているのかもしれません。

いくら労働組合で、雇用の確保や賃金・労働条件の向上を叫んだところで、自分が対価を得られるだけの価値を持っていないことには、交渉すらできないのではないか。
そのためには、自分の価値を高めなければならないのではないか。
会社に依存せず、対等の立場でお互いが幸せになれるような仕事をしよう。
という気持ちを持つだけで、なんだか自分の足で立っているような気になります。

為末選手が職業欄に「陸上選手」と書くように、僕も「スポーツ指導者」と書けるようになりたいと思います。
(ちなみに今は「会社員」)
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スポーツのパフォーマンス向上や活動的な生活を送ることを目指して、身体の使い方やその関連の事柄を研究します。そして、その過程をブログというメディアに残してゆくことで、何かの足しになればと思っています。

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1971年生まれ 男
元陸上競技400mハードラー

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